キャベツ

​当財団について

再生紙

Mission

創業者渡瀬寅次郎博士は、札幌農学校を卒業後、農商務省に勤め、中学校の教師・校長などを歴任した後に、実業会へと身を転じました。1892年に東京赤坂に興農学園の前身である東京興農園を設立し、興農雑誌という名のメディアを創刊し、欧米から持ち込んだ商品作物の種苗、農機具、肥料、書籍などを日本全国へ紹介しました。興農雑誌は先進技術を伝搬するメディアの役割を果たしただけでなく、優れた技術の使い方や人の活動のあり方を一般社会へ示しました。

例えば、渡瀬の手掛けた事業の一つに、千葉県松戸市名物である梨「香水」や「豊水」の原種にあたる「二十世紀梨」の栽培普及活動があります。渡瀬は品種開発者に寄りそい、命名後も興農雑誌での栽培手法伝搬と日本全国への普及に尽力しパートナーと伴走して事業を育てました。(出典:当財団2005年編纂「渡瀬寅次郎と香芽子の歩んだ道」前文 元松戸市長 川井敏久様寄稿文より)​私たちは渡瀬を含む四名の創業者達の姿勢を模範とし、​身近なところから社会全般へ良い影響を与える好事例の種を見出し、人と事業の成長に寄りそって社会に貢献していくことを目指していきます。

渡瀬はおよそ100年前に他界しましたが、その事業に取り組む姿勢を私達財団はしっかり引き継ぎ、二十一世紀の世において人と技術をつなぐ素晴らしい実例を多く創り出していきたいと考えています。

興農学園開校式の記念写真 創業者:新渡戸稲造氏/小坂順造氏、渡瀬家遺族、初代校長/生徒

Philosophy

私達は以下理念を同じくする事業者並びに個人の皆様と共に、農と食に関する技術開発、生産、流通、消費の実践現場を​構築することを目指す財団法人です。

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食の新基準を再構築する

様々な現場において、少子高齢化が進み、優れた技能を持つ生産者が後継者や担い手不足に悩んでいます。若者が継承できるか、継承したいと思えるか、50年後も形を変えながら続けられるか、をプロジェクト採択の基準とします。​私たちは投機的な動きを追わず、本質を見極め、不易流行の精神に則り、周囲の環境と人と調和を図り、長期的に持続発展可能な事業と人材の育成に注力します。

安心・安全・愛着がある

台風や洪水などの自然災害、新型コロナウィルス、経済規模の縮小などが発生し、国や県の境界を越えて人とモノが自由に移動する現代社会に、様々な制約が発生しています。​私たちは、消費者が日本国内の生産地から「安心」かつ「安全」に消費できるものをお届けします。また、一度使ったらもう一度使いたくなる、そういう「愛着」を持って接したくなる商品やサービスを作る現場を応援していくことを究極の目的としています。​

​実践の場を持つ

創業者渡瀬は、札幌農学校で学び、東京で会社を興し、終の棲家を静岡県沼津市西浦久連での実践教育事業に捧げました。何より、理念に共感して実践できる人を育てることに生涯を捧げました。​​実践できること、場があって、人がいて、時期を違わずに実行に移せることがらを優先的に取り上げていきます。​​​

Origins

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写真:創業者たち、渡瀬寅次郎(左)、新渡戸稲造(右上)、内村鑑三(右中央)、小坂順造(右下)

”Boys , Be ambitious”

 当財団起源は、デンマーク国民農学校を模範とし、1929年4月に静岡県沼津市にて開校した私立農学校です。創業者は札幌農学校クラーク博士に師事した同校一期生の渡瀬寅次郎博士(設立直前に他界)、内村鑑三氏、新渡戸稲造氏、そして娘婿の小坂順造ら親族です。

 その後、太平洋戦争などの時代の激流に翻弄されて農学校としての役割は終了し、渡瀬の遺志を継ぐ者たちにより昭和30年末まで農園として経営されました。

 そして、2020年、渡瀬寅次郎の来孫である小坂幸太郎を代表理事に配し、渡瀬博士の理想を二十一世紀に実現するべく新体制にて再始動します。

Only in Japan

再発掘/発信

当財団は日本固有の歴史背景によって育まれた自然と文化の美を再発掘し、先進技術や人の知恵との融合を経て事業プラットフォームを創生します。​

 

そのプラットフォームは、​日本由来の文化資産発掘と再構築、美しい山/河/海/田畑の有効活用、再生エネルギーシステムを駆使した食糧生産と地域創生、健康的な飲食と美を促進するライフスタイル提案など、実働や実態を伴ったプロジェクトを実践する場であるべきと考えます。

黒くなった紙

​Founders

​渡瀬 寅次郎

興農学園の祖である渡瀬寅次郎は、クラーク博士から直接薫陶を受けた札幌農学校の1期生。卒業後、農商務省に勤め、中学校の教師・校長などを歴任した後に実業会へと身を転じる。1892年に東京赤坂に興農学園の前身である東京興農園を設立し、興農雑誌なるカタログ兼メディアを発行し、米国などから持ち込んだ商品作物の種苗(バラ、水蜜桃、種苗など)、農機具、肥料、書籍などを販売していた。1926年11月8日に68歳で死去。その際、病床に遺族を集め学校を設立することを遺言に残した。

​内村 鑑三

​内村鑑三氏は創業者渡瀬の友人であり、新渡戸稲造氏と共に札幌農学校へ第二期生としてクラーク博士の薫陶を受けて学んだ農学者、そしてキリスト教思想家でもあります。晩年、病床にある渡瀬を札幌農学校同窓生を伴い、度々見舞いに訪れており、興農学園設立にあたって、遺志を託せる友人の一人として、渡瀬は内村氏の名を第一に挙げています。

 

渡瀬死後に発行した追悼集へ、内村氏は以下のようなメッセージを託しました。

『農学校を興したいという君の年来の志望でありましたが、このことなくして君が逝かれしは至極残念であります。しかしそのことは忌むべきその実行の責任は今やご遺族と我々友人の上に落ちているのであります。』

新渡戸 稲造

​渡瀬寅次郎と同じく札幌農学校の2期生。

日本の教育者・思想家。北海 道札幌農学校2期生で、農業経済学・農学の研究を通じて、日本の食糧生産 と安定供給に多大なる貢献をした。 国際連盟事務次長も務め、著書『武士道』は、流麗な英文で書かれ、長年読 み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。東京女子 大学初代学長。東京女子経済専門学校(東京文化短期大学・現:新渡戸 文化短期大学)初代校長。

小坂 順造

渡瀬寅次郎の長女、花子の婿。​

元みずほ銀行取締役、信濃毎日新聞社長、長野商業会議所会頭、中部電力小黒水力発電所社長、信越化学工業社長(東証一部上場)、日本発送電総裁、電源開発 総裁、電気事業経営者会議委員長。元衆議院議員、拓務省政務次官、枢密顧問 官、勲一等旭日大綬章。長男は日中国交正常化を担当した小坂善太郎外務大臣、 三男は経済企画庁長官の小坂徳三郎。

 

新渡戸稲造と共に、興農学園設立に尽力。
 

Overview

法人名

一般財団法人 興農学園

設立

1929年6月

事業の目的

  1. 食品/化粧品/農作物/水産品に関する調査研究

  2. 上記の開発、生産、販売、並びに流通全体

  3. 農地/養殖場の運営及びその運営受委託管理

  4. スポーツ、社会貢献及び高等教育事業の運営と振興

  5. 優れた食品生産技術の開発、販売、導入及び普及

  6. 優れた種苗や菌糸の開発、販売、導入及び普及活動

  7. 農水及び林業を核とした地域活性化事業及びその支援

  8. 再生可能エネルギー事業及びその支援農地有効利活用のためのファンド組成及び運用

  9. 食品生産/流通に関する新たな基準の設定及び

  10. その運営管理その他前各号の目的を達成に必要な事業

創業者

渡瀬 寅次郎

新渡戸 稲造

内村 鑑三

小坂 順造

拠点

  • 沼津創業農園 〒410-0233 静岡県沼津市西浦久連2番地

  • 郵便物郵送先 〒162-0825 東京都新宿区神楽坂2-16-1​​

役員

[代表理事]

[評議員]

[評議員]

[評議員]

[理事]

[理事]

[調和発展部門長]

[エネルギー部門長]

[次世代事業創生部門長]

[土地開発部門長]

[流通部門長]

[人材開発部門長]

小坂 幸太郎 ​

北野 貴裕

岩村 敬

小坂 義人 ​

鈴木 隆道

茨田 督大 ​

アブジケエフ タメルラン

倉田 隆広

クレメント リー

鈴木 隆道(理事と兼任)

小坂 幸太郎(理事と兼任)

茨田 督大(理事と兼任) ​

Articles of Incorporation